毎日通勤で通る道は、朝は眠くて早く会社に行くために急ぎ足で、帰りは疲れて下を向いているし。あまり立ち止まって景色を見たりすることはないですよね? でも、共同エンジニアリングがある場所は皇居の千鳥ヶ淵のそばで、春は満開の桜が咲き、秋は銀杏の紅葉。お堀の向こうに東京タワーの夜景が見えたりと…つい立ち止まって写真でも撮ろうかなって思うようなところなんです。

何を隠そう、窓から見える向こうにはその昔江戸城があって徳川家康公が住んでいたんですから…ってわけで、皆さんが毎日重い足取りで歩いている九段坂についてちょっと調べてみました。

この辺りはかつて千代田村と呼ばれたのどかな農村地帯でしたが、家康が幕府を開き江戸城が建てられ、城の周辺はにぎやかになりました。九段坂の由来は、今の九段下の俎橋の辺りから、坂の上まで急傾斜だったため9層の石段を造り「九段屋敷」という武家屋敷が造られたことからと言われています。(余談ですが、さらに昔の縄文時代は坂の下が波打ち際だったらしい…デス)

九段坂と並行してある中坂が商業地として栄え、九段坂は観光地として栄えました。

坂の上からは筑波山や江戸城、千鳥ヶ淵、今の市谷方面には海が見え、夜は観月の名所だったため多くの人が観光に訪れたそうです。

急な九段坂を描いた、葛飾北斎の絵も残されています。

明治になって段差をなくして坂道にしましたが、傾斜が急で荷車を上げるのに相当困難で、坂の下には食い詰めた人たちが立ち並び、荷車を押して報酬を得ていたと言われています。また、牛車の牛が疲れ果てて倒れ、淵に落ちたことから「牛ヶ淵」の名が付いたそうです。

明治の終わりには九段下から市谷方面に市電が通っていましたが、市電を建設する際にも当初の技術では急傾斜に線路が敷けず、牛ヶ淵の堀の内側を削って線路を九段上方面に敷き、田安門の土橋の下はトンネルで通過していました。今も九段会館側から見ると低い位置に石垣が見えます。

今の九段公園にある「高燈籠」(常灯明台)は靖国神社への献灯として明治1871年に建てられ、当初は九段坂上の今の靖国神社がある辺りにあって東京湾からも見えていたと言われています。そう聞くとたしかに灯台のような形に見えますね。

画像出典:海が見える江戸の一大名所だった「九段坂」の歴史と周辺観光スポット-ルアンマガジン

そして、関東大震災の後の復興整備により坂が削られ今の傾斜になり、昭和45年までは靖国通りの真ん中には路面電車が走っていました。

日々新しく移り変わっていく中にも、気づくとちゃんと名残があることを知るとちょっと面白いな…と思いませんか? きっとこの坂を「暴れん坊将軍」や「遠山の金さん」も歩いたんですよ。浪漫を感じますね~。

皆さんも天気の良い朝は一本早い電車に乗って、景色を眺めながら歩いてみてはいかがでしょうか…(完)

総務 宮本律